これは昨年知り合った松岡亮さんという絵描きさんのお知らせメールの必ずかかれている言葉だ。
必ずついてくることを知らなかった一番最初の受信はもとより、月イチくらいの間隔でおくられてきてもう半年くらいたった今でもこの言葉がうれしい。
なんというか、この言葉がうれしいのだということがわからなかった今までって何だろうと思う。
人生の中で盲目になってしまうときはままある。
別のケースだが、自分が受け取ったことが全てだと過信して人の投げた事柄を受け止められないことや、受け取れていないことさえ気がつかない状態になることだ。
そんなときはたいてい自分以外の存在を矮小化している。
病だったり、忙だったり、悲だったり、虚だったり、うまくいっていようがなかろうが盲目で傲慢な時間がある。
こうやって書いているのも、あざとい盲目の時間であるかもしれない。
とはいえ、うれしいことに「ありがとう」といわれてうれしいことが、自分の盲目を否定してくれている様でうれしい。
そしてそのありがとうの理由が「出会ってくれて」なのだから、うれしいことに拍車をかけてくる。
で、
この言葉を使ってみようと思った。
しかし、いざ使おうとすると抵抗がある。
なにか、ぐっと押しとどめようとする心がある。
盲目だな。
松岡さんのようにシンプルな言葉で、すっと投げかけるにはまだまだ至っていないのだなと顧みる。
いつの間にかとてもぶかっこうな言葉になってしまった。
まあ、これから時間をかけて磨いていくのも良いかもしれない。
そんなこんなで、大事なものが増えましたとさ。