そして、流れで「十年愛」の劇判等々手配やら、作曲やら、編曲やらをどどっとやっている。
この全てをやってみて感じることは、己の成長。
「どんなに年齢を重ねても学ぶ気持ちがあれば成長できるんだ。」といったのは前働いていた会社の社長で自分プラス25?歳くらいだったと思う。
こんな所で回顧する言葉であったかと思う。
一人芝居を補佐し、なおかつ向上させていくということ。
これは自分の原点といっても過言ではないと思う。
これを繰り返していた日々があって今の自分がある訳だが、これも間があるが10年の月日をかけていると気がついた。熟達することは、一朝一夕じゃない。自分は勤勉な方ではないから、人の4〜5倍もかかっているワケだが、それでも少しは成長する。
これは奢りだろうか。
それはさておき、できるならギター一本で映画一本埋めてみたいものだ。
かつての力押しじゃない音像でやってみたら、相当良いものができるのではないかという感覚がある。
これも奢りだろうか。
しかし試してみたい。
今の世の中じゃ、自主制作くらい無我夢中の作り手の熱意がある、そういう大事な大事な作品でなければできないことだろう。
何かで読んだ「希望の在処は常に前だ」、そんな言葉を回顧することも、奢りであるかもしれない。
ツェノンの逆説の様に、己の実態と認識はその間隔を決してなくさない。
しかしなぜ昂るのだろう。