- 昨日から、「とらわれる心」について散発的な言葉がよぎる。最近はどこにもお金がない。お金がないから出し渋る訳だ。対して、お金をもらわないと生きていけないのだから、お金をもらうことにはどんどん傾注していくことになる。その結果、お金を払わずに溜め込むことになる訳だ。
- そこまでは分かりやすい話で、この先が心の問題になるわけだけど、そうやって執拗に出さずにもらうことに集中していく心って、気がつかないうちに固定化してしまいやすい。心がそうなると行動に心的フィルターがかかってしまう。フィルターがかかった上で行動すると心から外れたものは見たくなくなる。
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見たくなくなれば見ないから、見えなくなる。見えなければ気がつかないから、心はそこにとどまる。留まり固定化し、このサイクルの中で方向性の修正を忘れる。こういったことを「とらわれた心」というのだろうなと考えた。
とらわれたままで見えないって盲目だよな。
そんな人がどんどん増えていて、ちょっと前まで良心的だと思えた人達にも盲目な状態が広がっているようだ。
そして、以前良心的だったが故にいま、良心的でなくなっていることに気がつかないか、見ないようにしてしまってさらに盲目度を強めている。-
Shu_compAAAの小室さんの「逢いたい理由」構成感が凝ってい
て面白いな。 イントロ→Aメロ→Bメロ→サビみたいなありきたりな構成じゃなくて、 こういうフレキシブルな構成感の曲もっと出ないかな〜 -
社会的に盲目な状態が広がっているように感じる昨今、盲目な状態を批判するのではどうしようもないなと思う。だとしたら、それを許容して
あげるしかない。だとしたら、どこまで許容してあげたらいいのか。 -
許容のバランスは非常に難しい。今思いついたがその案配はアンサンブルとよく似ている。作曲でなくてアンサンブルだ。これも今の思いつき
だけど、アンサンブルというと進行が決まっていそうだが、現実社会は何がおこるかわからんから、即興的アンサンブルだろうなと思う。 - あれ? インプロ実験会のはなしにたどりついちゃったぞ?
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そうじゃなくて、許容するならどこまでかと考える。自らの今の生活が脅かされないレベルなのか、それとも最低限生きていくことが境目なの
か。どちらにせよ、盲目的な人々に「盲目ですよ」とうことが鍵なような気がして来た。そのうえで許容か。 -
「盲目ですよ」というけど、その言い方も問題。それは今は置いとくとして。結局その境目で何をしなくちゃいけないのかと考えると、先取り
ではなくて一つ一つを吟味する時間をしっかり取ることのような気がする。 -
兵は拙速を聞くも、未だ巧みの久しきを聞かず。ってか苦言もあるけど、戦争をして、相食み合いながら生きていくことが幸せかと問いたい。
甘っちょろい感じだけど。 -
うお。お出かけのお時間到来。「とらわれる心」について結論に到達せず。。。何がいいたかったかというと、「とらわれると大変よ」と「そ
れを最後にこえるのは貢献する意思だけよ」ってまとめたかった。でもたどり着かなかった。。。それではいってきます。 -
ろーかるだwww RT@wms: えぇ! RT@aki_55p RT@alt_scape:
全WEB業界が泣いた -
meigenbotTo travel hopefully is a
better thing than to arrive. (Robert Louis Stevenson)
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