イラクで香田証生さんが拘束された事件は、勇太ちゃんが救出された報道のカゲにかくれて、あまり報道されていなかったのが印象的だった。
おそらくあまりいい加減な情報を流せないということだろう、と思っていた。
しかし、テレビで流れた映像の中で「すいません、日本に早く戻りたい」と日本語ではなした時の絶望的な声は恐ろしく、心に響いた。
その香田さんの遺体が、今日の朝日本に帰ってきた。
テロリストは日本に自衛隊の撤退を求めていた、小泉首相は当然のごとく「自衛隊の撤退はしない」と即座にこたえていた。
なぜ彼はイラクにいったのだろう。
なぜ彼は死んでしまったのだろう。
なぜなのか分からない。
この殺人にたいして、日本人はアメリカのWTCに飛行機がつっこんだのときのアメリカ人のように、怒りをあらわにするのだろうか。友だちと議論もしてみた。
世間的に見ると、そんなに過熱していないように見える。しかし心のそこでなにかがくすぶっている。
テロリストとはなんだ、犯罪者と違うのだろうか、なにか自分達の権利を求めて排斥された歴史があるようにも思う。でも、だからといって、人を殺しても良いわけじゃない。
しかも、ちょっと前にテロリストに対してアメリカが対決するといって、アフガニスタンに攻撃を加えたりそのままイラクの石油めがけて略奪戦争をはじめた。
これがイラク人テロリストの根本的な問題なのではないか。そうしたら、悪いのはアメリカではないのか。でも、その戦争の切っ掛けはテロリストがつくった。
悪いのはどっちだ。
そんなことを考えてみたら、ドンドン分からなくなった。
どちらかが「悪い」として解決する話じゃない。
現在状況から未来へ、何とかできる方法を探した方が良いみたいだ。
パレスチナとイスラエルの問題で、前にドキュメンタリー番組をやっていたのを思い出した。
それは、自爆テロで息子を亡くしたイスラエル人のお父さんが、パレスチナ側の学校を訪れて息子の話をするということだった。
自爆テロを実行した人は若い女性だった。イスラエルの軍隊に家族を殺され、その報復を自爆という形で行ったそうだ。そのイスラエル軍もテロリストを摘発するためにパレスチナ自治区へやってきた。
いわゆる「暴力の連鎖」というヤツだろうか。
ともかく、お父さんはパレスチナの学校へいくことになった。
彼はどうしても、相手方への憎しみが消えず、悩み苦しんで、その学校訪問を拒否していたが、その企画を立ち上げた運動家が一生懸命に説得して、なんとか行くことができた。
お父さんは、沈んだ顔で校舎に立つ。
そして、亡くなった息子と同年代の子供達と対峙する。
しばらくして、どんな会話をして良いか分からないといって、涙を見せた。
しかし、かれは自分の息子がどんな子供だったか、どんなに大切だったかをはなしはじめた。
すると、子供達が「もしかしたら、よい友だちになれたかも知れない。」といった。
死んでしまったことを悲しむ言葉も出た。
涙を流しながら、お父さんと子供達の会話は続いていった。
番組の最後に「ここへきて、彼等への憎しみが少し軽くなった」とはなしていたように思う。ひょっとしたら、そうナレーションされていたのかも知れない。
難しいかも知れないが、こういうことはもっと出来ないだろうか。
現在、苦しみながら復習の火をくすぶらせている人々に。このような対話のチャンスをあたえられないだろうか。
過激な殺人者になる前に、それぞれをもっと身近な存在にかえることは出来ないだろうか。
過激な犯罪者になってしまったものには、法律にのっとってことにあたり、犯罪者とそうでない者たちの間をもっと遠ざけることは出来ないだろうか。
そういうことができれば、テロリストが減って、香田さんのように亡くなる人をもっと減らすことができるのではないだろうか。そう思う。
香田さんの御冥福をお祈りします。
相互理解と同時に、子供達に今の大人達の啀み合いを受け継がせないように出来るといいんだけどねぇ。